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左から右へ時代が進む。点線の枠は「失敗・否決」。
19世紀前半は自由主義改革(宗教・選挙・貿易の制限を取り払う)、後半はヴィクトリア女王のもとで二大政党が交互に政権を担う議会政治。
国教徒以外は公職につけないとした審査法(1673)を廃止し、非国教徒(国教会以外のプロテスタント)が公職につけるようにした。
カトリック教徒も公職につけるようにした。アイルランドのオコンネルの運動が背景。
ホイッグ党のグレイ内閣。有権者がほとんどいない腐敗選挙区を廃止し、産業資本家など都市の中産階級に選挙権。労働者には与えられなかった。
イギリス帝国全体で奴隷制を廃止(奴隷貿易の廃止は1807)。
年少者の労働時間を制限し、守らせるために工場監督官を置いた。
第1回改正で選挙権を得られなかった労働者の運動。人民憲章(1838)の6か条:男性普通選挙・秘密投票・議員の財産資格廃止・議員に歳費・平等な選挙区・毎年の選挙。運動は失敗したが、のちに毎年の選挙以外は実現した。
穀物の輸入を制限して地主を守る穀物法(1815)を廃止。コブデン・ブライトの反穀物法同盟(マンチェスターが拠点、産業資本家が中心)が運動。
外国船を締め出す航海法(1651)を廃止 → 自由貿易体制が確立。
ヴィクトリア女王の時代がイギリスの最盛期。「世界の工場」とよばれ、圧倒的な工業力と海軍力でパクス=ブリタニカ(イギリスの平和)。1851年、ロンドンで第1回万国博覧会(会場は水晶宮)。
| 自由主義改革 | ||
| 1 | 1801 | アイルランドを併合(連合王国) |
| 2 | 1807 | 奴隷貿易を廃止 |
| 3 | 1828 | 審査法廃止 |
| 4 | 1829 | カトリック教徒解放法 |
| 5 | 1832 | 第1回選挙法改正(産業資本家に選挙権) |
| 6 | 1833 | 奴隷制廃止・工場法・東インド会社の中国貿易独占廃止 |
| 7 | 1837 | ヴィクトリア女王即位(〜1901) |
| 8 | 1838 | 人民憲章 → チャーティスト運動 |
| 9 | 1845 | アイルランドでジャガイモ飢饉(〜49) |
| 10 | 1846 | 穀物法廃止 |
| 11 | 1849 | 航海法廃止 → 自由貿易体制 |
| ヴィクトリア時代・二大政党 | ||
| 12 | 1851 | ロンドンで第1回万国博覧会 |
| 13 | 1867 | 第2回選挙法改正(都市の労働者に選挙権) |
| 14 | 1870 | グラッドストンの教育法 |
| 15 | 1871 | 労働組合法 |
| 16 | 1875 | ディズレーリがスエズ運河会社株を買収 |
| 17 | 1877 | インド帝国成立(ヴィクトリア女王がインド皇帝) |
| 18 | 1878 | ベルリン会議でキプロス島の行政権を得る |
| 19 | 1884 | 第3回選挙法改正(農業労働者・鉱山労働者に選挙権) |
| 20 | 1886 | アイルランド自治法案が否決(1893にも否決) |
グラッドストンとディズレーリ党と業績
| グラッドストン | 自由党。国内の改革:教育法・労働組合法・第3回選挙法改正・アイルランド自治法案 |
| ディズレーリ | 保守党。帝国の拡大:第2回選挙法改正・スエズ運河会社株買収・インド帝国・キプロス獲得 |
選挙法改正回と、選挙権を得た人
| 第1回 1832 | 産業資本家(都市の中産階級)。腐敗選挙区を廃止 |
| 第2回 1867 | 都市の労働者(保守党内閣) |
| 第3回 1884 | 農業労働者・鉱山労働者(自由党グラッドストン内閣) |
穀物法と航海法どちらも廃止で自由貿易へ
| 穀物法 | 1815制定 → 1846廃止。穀物の輸入を制限し地主を守る法 |
| 航海法 | 1651制定 → 1849廃止。貿易から外国船を締め出す法 |
審査法廃止とカトリック教徒解放法誰が公職につけるようになったか
| 審査法廃止 | 1828。非国教徒(国教会以外のプロテスタント) |
| カトリック教徒解放法 | 1829。カトリック教徒(オコンネルの運動) |
奴隷貿易廃止と奴隷制廃止
| 奴隷貿易廃止 | 1807。奴隷の売買・輸送を禁止 |
| 奴隷制廃止 | 1833。奴隷という身分そのものを廃止(帝国全体) |
二大政党の前身
| 保守党 | トーリー党から(地主の利益に近い) |
| 自由党 | ホイッグ党から(産業資本家の利益に近い) |
上の段は領土の広がり、下の段は奴隷制をめぐる対立。
西への領土拡大を「マニフェスト=デスティニー(明白な天命)」として正当化した。西へ広がるたびに「新しい州を奴隷州にするか自由州にするか」で南北が対立した。
第3代ジェファソン大統領が、ミシシッピ川以西のルイジアナをフランス(ナポレオン)から購入。領土がほぼ2倍に。
ナポレオン戦争中のイギリスの海上封鎖などが原因。イギリス製品が入らなくなったことで、アメリカの工業化が進み、経済的に自立した。
第5代モンロー大統領。ヨーロッパとアメリカ大陸の相互不干渉を唱え、ラテンアメリカの独立にヨーロッパが干渉することに反対。
第7代。西部の農民などに支持され、白人男性の普通選挙が広がった(ジャクソニアン=デモクラシー)。支持者が民主党をつくる。1830 インディアン強制移住法で先住民をミシシッピ川以西へ移す(チェロキーの「涙の旅路」)。
アメリカ系の移民がメキシコから独立(1836)させたテキサスを併合。
勝ったアメリカがカリフォルニア・ニューメキシコを獲得。1848年カリフォルニアで金鉱が見つかり、翌年から人が殺到(ゴールドラッシュ)。
ミズーリを奴隷州として認めるかわりに、以後は北緯36度30分より北に奴隷州をつくらないと決めた。
奴隷州にするか自由州にするかを住民の決定にまかせる → ミズーリ協定を否定し、対立が激化。反発して奴隷制の拡大に反対する共和党が結成された(1854)。
解放された黒人の多くは土地を得られず、収穫の一部を地主に納めるシェアクロッパー(分益小作人)になった。南部ではクー=クラックス=クラン(KKK)などによる黒人差別が続く。1869年、大陸横断鉄道が開通(建設には中国系移民なども働いた) → 西部の開拓と工業化が進む。1867年、アラスカをロシアから購入。
| 北部 | 南部 | |
|---|---|---|
| 産業 | 商工業(工業化が進む) | 綿花のプランテーション(黒人奴隷を使う) |
| 貿易政策 | 保護関税(イギリス製品から自国の工業を守る) | 自由貿易(綿花をイギリスへ輸出) |
| 奴隷制 | 拡大に反対 | 存続を主張 |
| 国のあり方 | 連邦主義(中央政府を強く) | 州権主義(州の自立を重視) |
| 政党 | 共和党 | 民主党 |
| 指導者 | リンカン | ジェファソン=デヴィス |
| 独立後〜西への拡大 | ||
| 1 | 1783 | パリ条約で独立が承認される(ミシシッピ川以東) |
| 2 | 1803 | ルイジアナをフランスから購入(ジェファソン) |
| 3 | 1812 | 米英戦争(〜14) |
| 4 | 1819 | フロリダをスペインから購入 |
| 5 | 1820 | ミズーリ協定 |
| 6 | 1823 | モンロー宣言 |
| 7 | 1829 | ジャクソンが大統領に(〜37) |
| 8 | 1830 | インディアン強制移住法 |
| 9 | 1845 | テキサス併合 |
| 10 | 1846 | アメリカ=メキシコ戦争(〜48)/オレゴンを併合 |
| 11 | 1848 | カリフォルニア獲得・金鉱発見 → 翌年ゴールドラッシュ |
| 南北の対立〜南北戦争〜戦後 | ||
| 12 | 1852 | ストウ『アンクル=トムの小屋』(奴隷制を批判) |
| 13 | 1854 | カンザス・ネブラスカ法 → 共和党結成 |
| 14 | 1860 | リンカンが大統領に当選 |
| 15 | 1861 | 南部がアメリカ連合国をつくり、南北戦争が始まる |
| 16 | 1862 | ホームステッド法 |
| 17 | 1863 | 奴隷解放宣言/ゲティスバーグの戦い |
| 18 | 1865 | 南北戦争終結、リンカン暗殺、憲法修正第13条(奴隷制廃止) |
| 19 | 1867 | アラスカをロシアから購入 |
| 20 | 1869 | 大陸横断鉄道が開通 |
ミズーリ協定とカンザス・ネブラスカ法奴隷州を決めるルール
| ミズーリ協定 | 1820。北緯36度30分の線で分ける(北は自由州) |
| カンザス・ネブラスカ法 | 1854。住民が決める → ミズーリ協定を否定、共和党結成へ |
ホームステッド法と奴隷解放宣言どちらもリンカン、戦争中に味方を増やす
| ホームステッド法 | 1862。土地を無償で与え西部の農民を味方に |
| 奴隷解放宣言 | 1863。内外の世論を味方に(外国の南部支援を防ぐ) |
ジェファソン・ジャクソン・ジェファソン=デヴィス名前が似ている
| ジェファソン | 第3代大統領。独立宣言を起草。ルイジアナ購入 |
| ジャクソン | 第7代大統領。インディアン強制移住法。民主党 |
| ジェファソン=デヴィス | 南部のアメリカ連合国の大統領 |
領土をどこから得たか
| ルイジアナ | フランスから購入(1803) |
| フロリダ | スペインから購入(1819) |
| テキサス | メキシコから独立したテキサスを併合(1845) |
| オレゴン | イギリスとの協定で併合(1846) |
| カリフォルニア | メキシコとの戦争で獲得(1848) |
| アラスカ | ロシアから購入(1867) |
戦いの勝ち負け誰が誰に
| 1812–14 米英戦争 | アメリカ ― イギリス(はっきりした勝敗なく講和) |
| 1846–48 アメリカ=メキシコ戦争 | アメリカ ○ ― ● メキシコ |
| 1863 ゲティスバーグ | 北軍 ○ ― ● 南軍 |
| 1861–65 南北戦争 | 北部(合衆国) ○ ― ● 南部(アメリカ連合国) |
東方問題=オスマン帝国の衰えにつけこんだ、バルカン半島・地中海東部をめぐる列強の争い。中心は、黒海から地中海へ出たいロシアの南下政策と、それを止めたいイギリス(インドへの道を守る)。
点線の枠は「ロシアの南下が止められた」できごと。
ロシアの南下はクリミア戦争(パリ条約)とベルリン会議で止められた。クリミア戦争に敗れたロシアでは、アレクサンドル2世が近代化のため農奴解放令(1861)を出した。
ギリシアがオスマン帝国からの独立を求めて蜂起。ヨーロッパでは古代ギリシアへのあこがれから支援が広がり、詩人バイロンも参加、ドラクロワは「キオス島の虐殺」を描いた。イギリス・フランス・ロシアが支援し、1827 ナヴァリノの海戦でオスマン・エジプト艦隊を破る。1829年に独立し、1830年のロンドン会議で国際的に承認された(ウィーン体制のもとで初めて認められた民族の独立)。
エジプトのムハンマド=アリーが、ギリシア独立戦争でオスマン帝国を助けた見返りにシリアを要求して開戦 → シリアを獲得。ロシアはオスマン帝国を助け、1833 ウンキャル=スケレッシ条約で、ボスフォラス・ダーダネルス海峡をロシアの軍艦だけが通れる権利を得た。
ロシアの進出を警戒したイギリスがオスマン帝国を支援。1840 ロンドン会議:ムハンマド=アリーはシリアを返還し、かわりにエジプト・スーダンの総督の世襲を認められる。翌1841年、海峡はすべての外国軍艦の通航禁止と決まり、ロシアの特権は失われた。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナやブルガリアでスラヴ系住民が反乱し、オスマン帝国が鎮圧。ロシアはパン=スラヴ主義(スラヴ民族の連帯)をかかげて開戦し、勝利 → サン=ステファノ条約。イギリス・オーストリアが反対し、ドイツのビスマルクが「誠実な仲買人」としてベルリン会議を開いて調停 → ベルリン条約。
| サン=ステファノ条約 1878 | ベルリン条約 1878 | |
|---|---|---|
| 結んだのは | ロシアとオスマン帝国(戦争の講和) | 列強がベルリン会議で修正(議長ビスマルク) |
| ルーマニア・セルビア・モンテネグロ | 独立 | 独立を承認(変わらず) |
| ブルガリア | 領土を大きくし、ロシアの保護下の自治国に | 領土を縮小し、オスマン帝国の下の自治国に |
| オーストリア | ― | ボスニア・ヘルツェゴヴィナの行政権 |
| イギリス | ― | キプロス島の行政権 |
| ロシアの南下 | 成功 | 再び阻止される → 中央アジア・東アジアへ向かう |
| ギリシア独立・エジプト=トルコ戦争 | ||
| 1 | 1821 | ギリシア独立戦争が始まる |
| 2 | 1827 | ナヴァリノの海戦(英・仏・露がオスマン・エジプト艦隊を破る) |
| 3 | 1829 | ギリシアが独立 |
| 4 | 1830 | ロンドン会議でギリシアの独立を承認 |
| 5 | 1831 | 第1次エジプト=トルコ戦争(〜33) |
| 6 | 1833 | ウンキャル=スケレッシ条約 |
| 7 | 1839 | 第2次エジプト=トルコ戦争(〜40) |
| 8 | 1840 | ロンドン会議(エジプトはシリアを返還) |
| クリミア戦争・ロシア=トルコ戦争 | ||
| 9 | 1853 | クリミア戦争(〜56) |
| 10 | 1856 | パリ条約(黒海の中立化) |
| 11 | 1861 | ロシアで農奴解放令(アレクサンドル2世) |
| 12 | 1877 | ロシア=トルコ戦争(〜78) |
| 13 | 1878 | サン=ステファノ条約 → ベルリン会議・ベルリン条約 |
2つのロンドン会議何を決めたか
| 1830 | ギリシアの独立を承認 |
| 1840 | 第2次エジプト=トルコ戦争の処理:エジプトはシリアを返還、総督の世襲は認められる |
ウンキャル=スケレッシ条約と海峡協定海峡の扱い
| ウンキャル=スケレッシ条約 | 1833。ロシアの軍艦だけが海峡を通れる(ロシアに有利) |
| 1841 海峡協定 | ロンドン会議の翌年。すべての外国軍艦が通航禁止(ロシアの特権が消える) |
3つのパリ条約何の戦争の講和か
| 1763 | 七年戦争(フレンチ=インディアン戦争)。イギリスがカナダなどを得る |
| 1783 | アメリカ独立戦争。アメリカの独立を承認 |
| 1856 | クリミア戦争。黒海の中立化 |
ボスニア・ヘルツェゴヴィナとキプロスベルリン条約で得た国
| オーストリア | ボスニア・ヘルツェゴヴィナの行政権 |
| イギリス | キプロス島の行政権(ディズレーリ) |
ロシアの皇帝どの出来事のときか
| ニコライ1世 | クリミア戦争を始めた皇帝 |
| アレクサンドル2世 | クリミア戦争の敗北後に農奴解放令(1861)。ロシア=トルコ戦争のときの皇帝 |
戦いの勝ち負け誰が誰に(結果で判定)
| 1827 ナヴァリノの海戦 | イギリス・フランス・ロシア ○ ― ● オスマン・エジプト艦隊 |
| 1831–33 第1次エジプト=トルコ戦争 | エジプト ○ ― ● オスマン帝国(エジプトがシリアを得る) |
| 1839–40 第2次エジプト=トルコ戦争 | エジプト ● ― ○ オスマン帝国+イギリスなど(列強の介入でシリアを返還) |
| 1853–56 クリミア戦争 | ロシア ● ― ○ オスマン帝国・イギリス・フランス・サルデーニャ |
| 1877–78 ロシア=トルコ戦争 | ロシア ○ ― ● オスマン帝国(ただしベルリン会議で成果を削られる) |
点線の枠は「失敗・停止・外国の支配へ」。
ロシアの南下を警戒したイギリスが2度のアフガン戦争を起こす。第1次(1838–42)は失敗、第2次(1878–80)を経て1880年に保護国とした。
ムハンマドの時代の純粋なイスラームへの復帰を説くワッハーブ派が、豪族サウード家と結んでアラビア半島に建国。1818年、ムハンマド=アリーに滅ぼされた。
ヨーロッパの支配に対抗するため、ムスリムが団結するパン=イスラーム主義を説いた思想家。ウラービー運動やタバコ=ボイコット運動に影響を与えた。
| 18世紀後半〜19世紀前半 | ||
| 1 | 1796 | イランでカージャール朝(首都テヘラン) |
| 2 | 1798 | ナポレオンのエジプト遠征 |
| 3 | 1805 | ムハンマド=アリーがエジプト総督に |
| 4 | 1818 | ムハンマド=アリーがワッハーブ王国を滅ぼす |
| 5 | 1826 | マフムト2世がイェニチェリを廃止 |
| 6 | 1828 | トルコマンチャーイ条約(イランとロシア) |
| 7 | 1838 | 第1次アフガン戦争(〜42) |
| 8 | 1839 | ギュルハネ勅令 → タンジマート |
| 9 | 1848 | イランでバーブ教徒の乱 |
| 19世紀後半 | ||
| 10 | 1869 | スエズ運河開通(レセップス) |
| 11 | 1875 | エジプトが運河会社の株をイギリスに売る |
| 12 | 1876 | ミドハト憲法(アジア初の憲法) |
| 13 | 1878 | アブデュルハミト2世が憲法を停止/第2次アフガン戦争(〜80) |
| 14 | 1880 | アフガニスタンがイギリスの保護国に |
| 15 | 1881 | エジプトでウラービー運動(〜82) |
| 16 | 1882 | イギリスがエジプトを占領(事実上の保護国) |
| 17 | 1891 | イランでタバコ=ボイコット運動(〜92) |
タンジマートとミドハト憲法オスマン帝国の改革
| タンジマート | 1839〜。ギュルハネ勅令(アブデュルメジト1世)で始まる西欧化の改革 |
| ミドハト憲法 | 1876。宰相ミドハト=パシャ。1878にアブデュルハミト2世が停止 |
ウラービー運動とタバコ=ボイコット運動どちらもイギリスへの抵抗
| ウラービー運動 | エジプト・1881–82。「エジプト人のためのエジプト」→ イギリスに鎮圧され占領される |
| タバコ=ボイコット運動 | イラン・1891–92。イギリスの会社のタバコ利権に反対 → 利権を取り消させた |
ウンキャル=スケレッシ条約とトルコマンチャーイ条約どちらもロシアが結んだ、名前が似ている
| ウンキャル=スケレッシ条約 | 1833・ロシアとオスマン帝国。ロシアが海峡の独占通航権(→C) |
| トルコマンチャーイ条約 | 1828・ロシアとイラン(カージャール朝)。アルメニア割譲・治外法権・関税自主権の喪失 |
スエズ運河建設と株
| 建設・開通 | フランス人レセップス。1869開通 |
| 株の買収 | イギリスのディズレーリが1875に買収(→A) |
戦いの勝ち負け誰が誰に
| 1838–42 第1次アフガン戦争 | イギリス ● ― ○ アフガニスタン(イギリスは目的を果たせず撤退) |
| 1878–80 第2次アフガン戦争 | イギリス ○ ― ● アフガニスタン(1880 保護国に) |
| 1882 ウラービー運動 | イギリス ○ ― ● ウラービーら(エジプト占領) |
東インド会社は、はじめは貿易の会社 → 戦争で領土を広げ徴税する統治者に → 1833年に商業活動をやめ統治だけの機関に → 大反乱のあと1858年に解散。
拠点:イギリスはマドラス・ボンベイ・カルカッタ、フランスはポンディシェリ・シャンデルナゴル。南インドのカーナティック戦争でイギリスが優位に立つ。
イギリス東インド会社のクライヴが、ベンガル太守とフランスの軍を破る。1765年、ベンガル・ビハール・オリッサの徴税権(ディーワーニー)を得て、領土の支配者になる。
背景:イギリスの産業資本家が自由貿易を求めた。
19世紀前半、イギリスの機械製綿布が流れこみ、インドの手織りの綿織物業は大打撃。インドは綿花・藍・茶などの原料の輸出地に。イギリス綿製品をインドへ、インドのアヘンを中国へ、中国の茶をイギリスへ送る三角貿易ができた。
保守党のディズレーリ内閣のもとで成立。ヴィクトリア女王がインド皇帝を兼ねる。直轄領と藩王国からなる。
| 18世紀:英仏の争いと征服の始まり | ||
| 1 | 1744 | カーナティック戦争(〜63、英仏が南インドで争う) |
| 2 | 1757 | プラッシーの戦い(クライヴ) |
| 3 | 1765 | ベンガルなどの徴税権(ディーワーニー)を得る |
| 4 | 1767 | マイソール戦争(〜99) |
| 5 | 1775 | マラーター戦争(〜1818) |
| 19世紀:支配の完成と大反乱 | ||
| 6 | 1813 | 東インド会社のインド貿易独占権を廃止 |
| 7 | 1833 | 中国貿易独占権も廃止・商業活動停止 |
| 8 | 1845 | シク戦争(〜49) |
| 9 | 1849 | パンジャーブを併合 |
| 10 | 1857 | シパーヒーの反乱(インド大反乱、〜59) |
| 11 | 1858 | ムガル帝国滅亡/東インド会社解散 → イギリス政府の直接統治 |
| 12 | 1877 | インド帝国成立(ヴィクトリア女王がインド皇帝) |
ザミンダーリー制とライヤットワーリー制だれに納税させるか
| ザミンダーリー制 | 地主・領主(ザミンダール)。北インド(ベンガルなど) |
| ライヤットワーリー制 | 農民(ライヤット)から直接。南インドなど |
東インド会社の1813年と1833年
| 1813 | インドとの貿易の独占を廃止 |
| 1833 | 中国との貿易の独占も廃止し、商業活動そのものを停止 |
1858年と1877年
| 1858 | ムガル帝国滅亡・東インド会社解散 → イギリス政府の直接統治 |
| 1877 | インド帝国:ヴィクトリア女王がインド皇帝に(ディズレーリ) |
2つの「シパーヒー」同じ語、別の意味
| インドのシパーヒー | 東インド会社に雇われたインド人傭兵(1857年の反乱の主体) |
| オスマン帝国のシパーヒー | ティマール制で徴税権を与えられた騎士 |
マイソール・マラーター・シク戦った地域
| マイソール戦争 | 南インド。1767–99 |
| マラーター戦争 | デカン高原(中部〜西部)。1775–1818 |
| シク戦争 | パンジャーブ(西北部)。1845–49。最後に征服 |
戦いの勝ち負け誰が誰に
| 1757 プラッシー | イギリス東インド会社(クライヴ) ○ ― ● ベンガル太守・フランス |
| 1767–99 マイソール戦争 | イギリス ○ ― ● マイソール王国 |
| 1775–1818 マラーター戦争 | イギリス ○ ― ● マラーター同盟 |
| 1845–49 シク戦争 | イギリス ○ ― ● シク王国 |
| 1857–59 シパーヒーの反乱 | 反乱軍 ● ― ○ イギリス |