中間考査 世界史研究

中間考査 世界史研究 まとめ

範囲:イギリス・アメリカ南北戦争・東方問題・インド大反乱(19世紀) 試験は10/21(水)2限
教科書 13章1〜3(p.220〜)/14章1(p.242〜)/14章2(p.246〜) 実況中継 第55・56・59・60回

赤字が覚える語句。「赤シート」を押すと赤字が全部隠れ、隠れた語句をタップすると1つずつめくれます。もう一度押すと元に戻ります。

A19世紀のイギリス13章1・2

①改革の流れ(分野ごと)

左から右へ時代が進む。点線の枠は「失敗・否決」。

宗教
審査法廃止1828→カトリック教徒解放法1829
選挙
第1回選挙法改正1832→チャーティスト運動1830年代後半〜40年代→第2回1867→第3回1884
人道・労働
奴隷貿易廃止1807→奴隷制廃止1833/工場法1833
自由貿易
東インド会社の
中国貿易独占廃止1833
→穀物法廃止1846→航海法廃止1849
アイルランド
合同1801→ジャガイモ飢饉1845–49→アイルランド自治法案1886・1893 否決
帝国
スエズ運河会社株買収1875→インド帝国1877

19世紀前半は自由主義改革(宗教・選挙・貿易の制限を取り払う)、後半はヴィクトリア女王のもとで二大政党が交互に政権を担う議会政治。

②要点一覧

審査法廃止1828宗教

国教徒以外は公職につけないとした審査法(1673)を廃止し、非国教徒(国教会以外のプロテスタント)が公職につけるようにした。

カトリック教徒解放法1829宗教

カトリック教徒も公職につけるようにした。アイルランドのオコンネルの運動が背景。

第1回選挙法改正1832選挙

ホイッグ党のグレイ内閣。有権者がほとんどいない腐敗選挙区を廃止し、産業資本家など都市の中産階級に選挙権。労働者には与えられなかった。

奴隷制廃止1833人道

イギリス帝国全体で奴隷制を廃止(奴隷貿易の廃止は1807)。

工場法1833労働

年少者の労働時間を制限し、守らせるために工場監督官を置いた。

チャーティスト運動1830年代後半〜40年代選挙

第1回改正で選挙権を得られなかった労働者の運動。人民憲章(1838)の6か条:男性普通選挙・秘密投票・議員の財産資格廃止・議員に歳費・平等な選挙区・毎年の選挙。運動は失敗したが、のちに毎年の選挙以外は実現した。

穀物法廃止1846自由貿易

穀物の輸入を制限して地主を守る穀物法(1815)を廃止。コブデン・ブライトの反穀物法同盟(マンチェスターが拠点、産業資本家が中心)が運動。

航海法廃止1849自由貿易

外国船を締め出す航海法(1651)を廃止 → 自由貿易体制が確立。

ヴィクトリア時代女王の在位 1837–1901

ヴィクトリア女王の時代がイギリスの最盛期。「世界の工場」とよばれ、圧倒的な工業力と海軍力でパクス=ブリタニカ(イギリスの平和)。1851年、ロンドンで第1回万国博覧会(会場は水晶宮)。

二大政党の政治19世紀後半

保守党
トーリー党が前身。ディズレーリ:1867 第2回選挙法改正を推進/1875 スエズ運河会社の株を財政難のエジプトから買収/1877 インド帝国を成立させる(女王がインド皇帝)/1878 ベルリン会議でキプロス島の行政権を得る → 帝国の拡大
自由党
ホイッグ党が前身。グラッドストン:1870 教育法(初等教育を整える)/1871 労働組合法(労働組合を合法化)/1872 秘密投票法/1884 第3回選挙法改正/アイルランド自治法案を出すが否決(1886・1893) → 国内の改革

アイルランド問題

1801
アイルランドを併合しグレートブリテン=アイルランド連合王国に
1829
カトリック教徒解放法(アイルランドはカトリックが多い)
1845–49
ジャガイモ飢饉:主食のジャガイモの不作で多数が餓死し、大量の人々がアメリカへ移民
1886・93
グラッドストンがアイルランド自治法案を議会に出すが、2度とも否決

③年表

自由主義改革
11801アイルランドを併合(連合王国)
21807奴隷貿易を廃止
31828審査法廃止
41829カトリック教徒解放法
51832第1回選挙法改正(産業資本家に選挙権)
61833奴隷制廃止・工場法・東インド会社の中国貿易独占廃止
71837ヴィクトリア女王即位(〜1901)
81838人民憲章 → チャーティスト運動
91845アイルランドでジャガイモ飢饉(〜49)
101846穀物法廃止
111849航海法廃止 → 自由貿易体制
ヴィクトリア時代・二大政党
121851ロンドンで第1回万国博覧会
131867第2回選挙法改正(都市の労働者に選挙権)
141870グラッドストンの教育法
151871労働組合法
161875ディズレーリがスエズ運河会社株を買収
171877インド帝国成立(ヴィクトリア女王がインド皇帝)
181878ベルリン会議でキプロス島の行政権を得る
191884第3回選挙法改正(農業労働者・鉱山労働者に選挙権)
201886アイルランド自治法案が否決(1893にも否決)

④取り違えやすいペア

グラッドストンとディズレーリ党と業績

グラッドストン自由党。国内の改革:教育法・労働組合法・第3回選挙法改正・アイルランド自治法案
ディズレーリ保守党。帝国の拡大:第2回選挙法改正・スエズ運河会社株買収・インド帝国・キプロス獲得

選挙法改正回と、選挙権を得た人

第1回 1832産業資本家(都市の中産階級)。腐敗選挙区を廃止
第2回 1867都市の労働者(保守党内閣)
第3回 1884農業労働者・鉱山労働者(自由党グラッドストン内閣)

穀物法と航海法どちらも廃止で自由貿易へ

穀物法1815制定 → 1846廃止。穀物の輸入を制限し地主を守る法
航海法1651制定 → 1849廃止。貿易から外国船を締め出す法

審査法廃止とカトリック教徒解放法誰が公職につけるようになったか

審査法廃止1828。非国教徒(国教会以外のプロテスタント)
カトリック教徒解放法1829。カトリック教徒(オコンネルの運動)

奴隷貿易廃止と奴隷制廃止

奴隷貿易廃止1807。奴隷の売買・輸送を禁止
奴隷制廃止1833。奴隷という身分そのものを廃止(帝国全体)

二大政党の前身

保守党トーリー党から(地主の利益に近い)
自由党ホイッグ党から(産業資本家の利益に近い)

Bアメリカ合衆国の発展13章3・実況 第56回

①流れ

上の段は領土の広がり、下の段は奴隷制をめぐる対立。

領土
独立13州1783 ミシシッピ川以東→ルイジアナ1803 フランスから購入→フロリダ1819 スペインから購入→テキサス1845 併合→オレゴン1846 イギリスと協定→カリフォルニア1848 メキシコから→アラスカ1867 ロシアから購入
外交・
内政
米英戦争1812–14→モンロー宣言1823→ジャクソン大統領1829–37→インディアン強制移住法1830
奴隷制の
対立
ミズーリ協定1820→カンザス・ネブラスカ法1854→共和党結成1854→リンカン当選1860→南北戦争1861–65
戦後
憲法修正第13条1865 奴隷制廃止→大陸横断鉄道1869/シェアクロッパー南部の黒人の多く

西への領土拡大を「マニフェスト=デスティニー(明白な天命)」として正当化した。西へ広がるたびに「新しい州を奴隷州にするか自由州にするか」で南北が対立した。

②要点一覧

ルイジアナ購入1803

第3代ジェファソン大統領が、ミシシッピ川以西のルイジアナをフランス(ナポレオン)から購入。領土がほぼ2倍に。

米英戦争1812–14

ナポレオン戦争中のイギリスの海上封鎖などが原因。イギリス製品が入らなくなったことで、アメリカの工業化が進み、経済的に自立した。

モンロー宣言1823

第5代モンロー大統領。ヨーロッパとアメリカ大陸の相互不干渉を唱え、ラテンアメリカの独立にヨーロッパが干渉することに反対。

ジャクソン大統領在任 1829–37

第7代。西部の農民などに支持され、白人男性の普通選挙が広がった(ジャクソニアン=デモクラシー)。支持者が民主党をつくる。1830 インディアン強制移住法で先住民をミシシッピ川以西へ移す(チェロキーの「涙の旅路」)。

テキサス併合1845

アメリカ系の移民がメキシコから独立(1836)させたテキサスを併合。

アメリカ=メキシコ戦争1846–48

勝ったアメリカがカリフォルニア・ニューメキシコを獲得。1848年カリフォルニアで金鉱が見つかり、翌年から人が殺到(ゴールドラッシュ)。

ミズーリ協定1820

ミズーリを奴隷州として認めるかわりに、以後は北緯36度30分より北に奴隷州をつくらないと決めた。

カンザス・ネブラスカ法1854

奴隷州にするか自由州にするかを住民の決定にまかせる → ミズーリ協定を否定し、対立が激化。反発して奴隷制の拡大に反対する共和党が結成された(1854)。

南北戦争1861–65

開戦
1860 共和党のリンカンが大統領に当選 → 南部の州が連邦を離れ、1861年にアメリカ連合国(のち南部11州。大統領ジェファソン=デヴィス、首都リッチモンド)をつくる → 1861 開戦
1862
ホームステッド法(自営農地法):西部の公有地に5年間住んで開墾した者に、160エーカーの土地を無償で与える → 西部の農民を北部の味方に
1863
奴隷解放宣言:内外の世論を味方につけ、イギリスなどが南部を支援するのを防ぐ/ゲティスバーグの戦いで北軍が勝利し形勢が決まる。戦場の追悼式でリンカンが「人民の、人民による、人民のための政治」と演説
1865
南部の首都リッチモンドが陥落し北部が勝利(北軍グラント、南軍リー)。直後にリンカンが暗殺される。憲法修正第13条で奴隷制を廃止

戦後の南部と発展1860年代後半〜70年代

解放された黒人の多くは土地を得られず、収穫の一部を地主に納めるシェアクロッパー(分益小作人)になった。南部ではクー=クラックス=クラン(KKK)などによる黒人差別が続く。1869年、大陸横断鉄道が開通(建設には中国系移民なども働いた) → 西部の開拓と工業化が進む。1867年、アラスカをロシアから購入。

③北部と南部の比較

北部南部
産業商工業(工業化が進む)綿花のプランテーション(黒人奴隷を使う)
貿易政策保護関税(イギリス製品から自国の工業を守る)自由貿易(綿花をイギリスへ輸出)
奴隷制拡大に反対存続を主張
国のあり方連邦主義(中央政府を強く)州権主義(州の自立を重視)
政党共和党民主党
指導者リンカンジェファソン=デヴィス

④年表

独立後〜西への拡大
11783パリ条約で独立が承認される(ミシシッピ川以東)
21803ルイジアナをフランスから購入(ジェファソン)
31812米英戦争(〜14)
41819フロリダをスペインから購入
51820ミズーリ協定
61823モンロー宣言
71829ジャクソンが大統領に(〜37)
81830インディアン強制移住法
91845テキサス併合
101846アメリカ=メキシコ戦争(〜48)/オレゴンを併合
111848カリフォルニア獲得・金鉱発見 → 翌年ゴールドラッシュ
南北の対立〜南北戦争〜戦後
121852ストウ『アンクル=トムの小屋』(奴隷制を批判)
131854カンザス・ネブラスカ法 → 共和党結成
141860リンカンが大統領に当選
151861南部がアメリカ連合国をつくり、南北戦争が始まる
161862ホームステッド法
171863奴隷解放宣言/ゲティスバーグの戦い
181865南北戦争終結、リンカン暗殺、憲法修正第13条(奴隷制廃止)
191867アラスカをロシアから購入
201869大陸横断鉄道が開通

⑤取り違えやすいペア

ミズーリ協定とカンザス・ネブラスカ法奴隷州を決めるルール

ミズーリ協定1820。北緯36度30分の線で分ける(北は自由州)
カンザス・ネブラスカ法1854。住民が決める → ミズーリ協定を否定、共和党結成へ

ホームステッド法と奴隷解放宣言どちらもリンカン、戦争中に味方を増やす

ホームステッド法1862。土地を無償で与え西部の農民を味方に
奴隷解放宣言1863。内外の世論を味方に(外国の南部支援を防ぐ)

ジェファソン・ジャクソン・ジェファソン=デヴィス名前が似ている

ジェファソン第3代大統領。独立宣言を起草。ルイジアナ購入
ジャクソン第7代大統領。インディアン強制移住法。民主党
ジェファソン=デヴィス南部のアメリカ連合国の大統領

領土をどこから得たか

ルイジアナフランスから購入(1803)
フロリダスペインから購入(1819)
テキサスメキシコから独立したテキサスを併合(1845)
オレゴンイギリスとの協定で併合(1846)
カリフォルニアメキシコとの戦争で獲得(1848)
アラスカロシアから購入(1867)

戦いの勝ち負け誰が誰に

1812–14 米英戦争アメリカ ― イギリス(はっきりした勝敗なく講和)
1846–48 アメリカ=メキシコ戦争アメリカ ○ ― ● メキシコ
1863 ゲティスバーグ北軍 ○ ― ● 南軍
1861–65 南北戦争北部(合衆国) ○ ― ● 南部(アメリカ連合国)

C東方問題13章1・2・実況 第55回

東方問題=オスマン帝国の衰えにつけこんだ、バルカン半島・地中海東部をめぐる列強の争い。中心は、黒海から地中海へ出たいロシアの南下政策と、それを止めたいイギリス(インドへの道を守る)。

①流れ

点線の枠は「ロシアの南下が止められた」できごと。

1820年代
ギリシア独立戦争1821–29→ロンドン会議1830 独立を承認
1830年代
第1次エジプト=トルコ戦争1831–33→ウンキャル=スケレッシ条約1833 ロシアが海峡の独占通航権
1840年前後
第2次エジプト=トルコ戦争1839–40→ロンドン会議1840 エジプトはシリア返還→海峡協定1841 ロシアの特権が消える
1850年代
クリミア戦争1853–56→パリ条約1856 黒海の中立化
1870年代
ロシア=トルコ戦争1877–78→サン=ステファノ条約1878→ベルリン会議・条約1878

ロシアの南下はクリミア戦争(パリ条約)とベルリン会議で止められた。クリミア戦争に敗れたロシアでは、アレクサンドル2世が近代化のため農奴解放令(1861)を出した。

②要点一覧

ギリシア独立戦争1821–29

ギリシアがオスマン帝国からの独立を求めて蜂起。ヨーロッパでは古代ギリシアへのあこがれから支援が広がり、詩人バイロンも参加、ドラクロワは「キオス島の虐殺」を描いた。イギリス・フランス・ロシアが支援し、1827 ナヴァリノの海戦でオスマン・エジプト艦隊を破る。1829年に独立し、1830年のロンドン会議で国際的に承認された(ウィーン体制のもとで初めて認められた民族の独立)。

第1次エジプト=トルコ戦争1831–33

エジプトのムハンマド=アリーが、ギリシア独立戦争でオスマン帝国を助けた見返りにシリアを要求して開戦 → シリアを獲得。ロシアはオスマン帝国を助け、1833 ウンキャル=スケレッシ条約で、ボスフォラス・ダーダネルス海峡をロシアの軍艦だけが通れる権利を得た。

第2次エジプト=トルコ戦争1839–40

ロシアの進出を警戒したイギリスがオスマン帝国を支援。1840 ロンドン会議:ムハンマド=アリーはシリアを返還し、かわりにエジプト・スーダンの総督の世襲を認められる。翌1841年、海峡はすべての外国軍艦の通航禁止と決まり、ロシアの特権は失われた。

クリミア戦争1853–56

原因
聖地イェルサレムの管理権問題。ロシア(ニコライ1世)がギリシア正教徒の保護を口実にオスマン帝国と開戦
対立
ロシア ↔ オスマン帝国・イギリス・フランス(ナポレオン3世)・サルデーニャ
経過
セヴァストーポリ要塞が陥落し、ロシアが敗北。イギリスのナイティンゲールが戦地で看護にあたる
講和
1856 パリ条約:黒海の中立化(軍艦の航行や要塞を禁止)、オスマン帝国の領土保全 → ロシアの南下は失敗

ロシア=トルコ戦争(露土戦争)1877–78

ボスニア・ヘルツェゴヴィナやブルガリアでスラヴ系住民が反乱し、オスマン帝国が鎮圧。ロシアはパン=スラヴ主義(スラヴ民族の連帯)をかかげて開戦し、勝利 → サン=ステファノ条約。イギリス・オーストリアが反対し、ドイツのビスマルクが「誠実な仲買人」としてベルリン会議を開いて調停 → ベルリン条約。

③サン=ステファノ条約とベルリン条約

サン=ステファノ条約 1878ベルリン条約 1878
結んだのはロシアとオスマン帝国(戦争の講和)列強がベルリン会議で修正(議長ビスマルク)
ルーマニア・セルビア・モンテネグロ独立独立を承認(変わらず)
ブルガリア領土を大きくし、ロシアの保護下の自治国に領土を縮小し、オスマン帝国の下の自治国に
オーストリア―ボスニア・ヘルツェゴヴィナの行政権
イギリス―キプロス島の行政権
ロシアの南下成功再び阻止される → 中央アジア・東アジアへ向かう

④年表

ギリシア独立・エジプト=トルコ戦争
11821ギリシア独立戦争が始まる
21827ナヴァリノの海戦(英・仏・露がオスマン・エジプト艦隊を破る)
31829ギリシアが独立
41830ロンドン会議でギリシアの独立を承認
51831第1次エジプト=トルコ戦争(〜33)
61833ウンキャル=スケレッシ条約
71839第2次エジプト=トルコ戦争(〜40)
81840ロンドン会議(エジプトはシリアを返還)
クリミア戦争・ロシア=トルコ戦争
91853クリミア戦争(〜56)
101856パリ条約(黒海の中立化)
111861ロシアで農奴解放令(アレクサンドル2世)
121877ロシア=トルコ戦争(〜78)
131878サン=ステファノ条約 → ベルリン会議・ベルリン条約

⑤取り違えやすいペア

2つのロンドン会議何を決めたか

1830ギリシアの独立を承認
1840第2次エジプト=トルコ戦争の処理:エジプトはシリアを返還、総督の世襲は認められる

ウンキャル=スケレッシ条約と海峡協定海峡の扱い

ウンキャル=スケレッシ条約1833。ロシアの軍艦だけが海峡を通れる(ロシアに有利)
1841 海峡協定ロンドン会議の翌年。すべての外国軍艦が通航禁止(ロシアの特権が消える)

3つのパリ条約何の戦争の講和か

1763七年戦争(フレンチ=インディアン戦争)。イギリスがカナダなどを得る
1783アメリカ独立戦争。アメリカの独立を承認
1856クリミア戦争。黒海の中立化

ボスニア・ヘルツェゴヴィナとキプロスベルリン条約で得た国

オーストリアボスニア・ヘルツェゴヴィナの行政権
イギリスキプロス島の行政権(ディズレーリ)

ロシアの皇帝どの出来事のときか

ニコライ1世クリミア戦争を始めた皇帝
アレクサンドル2世クリミア戦争の敗北後に農奴解放令(1861)。ロシア=トルコ戦争のときの皇帝

戦いの勝ち負け誰が誰に(結果で判定)

1827 ナヴァリノの海戦イギリス・フランス・ロシア ○ ― ● オスマン・エジプト艦隊
1831–33 第1次エジプト=トルコ戦争エジプト ○ ― ● オスマン帝国(エジプトがシリアを得る)
1839–40 第2次エジプト=トルコ戦争エジプト ● ― ○ オスマン帝国+イギリスなど(列強の介入でシリアを返還)
1853–56 クリミア戦争ロシア ● ― ○ オスマン帝国・イギリス・フランス・サルデーニャ
1877–78 ロシア=トルコ戦争ロシア ○ ― ● オスマン帝国(ただしベルリン会議で成果を削られる)

D西アジア地域の変容14章1・実況 第59回

①流れ(国ごと)

点線の枠は「失敗・停止・外国の支配へ」。

オスマン
帝国
イェニチェリ廃止1826→ギュルハネ勅令1839 タンジマート開始→ミドハト憲法1876→憲法停止1878 アブデュルハミト2世
エジプト
ナポレオンの遠征1798→ムハンマド=アリー1805 総督に→スエズ運河開通1869→運河株を売却1875→ウラービー運動1881–82→イギリスが占領1882
イラン
カージャール朝1796–1925→トルコマンチャーイ条約1828→バーブ教徒の乱1848〜→タバコ=ボイコット運動1891–92
アフガニ
スタン
第1次アフガン戦争1838–42→第2次アフガン戦争1878–80→イギリスの保護国1880
アラビア
ワッハーブ王国18世紀半ば→ 1818ムハンマド=アリーが滅ぼす

②要点一覧

オスマン帝国の改革スルタンの改革と挫折

1826
マフムト2世がイェニチェリを廃止し、西洋式の軍隊をつくる
1839
アブデュルメジト1世がギュルハネ勅令を出し、タンジマート(恩恵改革)を始める:西欧化の改革、ムスリムと非ムスリムの法の前の平等
結果
外国資本が入りこみ、外国からの借金がふくらむ
1876
宰相ミドハト=パシャがミドハト憲法を起草。アジアで最初の憲法(議会を開く)
1878
アブデュルハミト2世がロシア=トルコ戦争を理由に憲法を停止し、議会も閉じて専制政治。パン=イスラーム主義を利用

エジプトムハンマド=アリー朝

台頭
1798 ナポレオンのエジプト遠征の混乱の中、オスマン帝国の軍人ムハンマド=アリーが1805年にエジプト総督となり、事実上独立
改革
マムルーク勢力を一掃。西洋式の軍隊・工場、綿花の栽培と専売で富国強兵。エジプト=トルコ戦争(→C)で総督の世襲を認められる
運河
1869 スエズ運河開通(フランス人レセップス)→ 建設費などで財政難 → 1875 運河会社の株をイギリスに売る → 英仏が財政を管理
抵抗
1881–82 ウラービー運動:軍人ウラービーが「エジプト人のためのエジプト」をかかげ、立憲制と外国支配への反対を求める
結果
1882 イギリスが鎮圧してエジプトを軍事占領し、事実上の保護国にした(正式な保護国化は1914)

イランカージャール朝 1796–1925

首都
テヘラン
1828
ロシアとの戦争に敗れトルコマンチャーイ条約:アルメニアの大部分をロシアに割譲、治外法権を認め関税自主権を失う(不平等条約)
1848〜
バーブ教(サイイド=アリー=ムハンマドが始めた新しい宗教)の信者がバーブ教徒の乱を起こし、鎮圧される
1891–92
タバコ=ボイコット運動:国王がイギリスの会社にタバコの独占利権を与えたことに、ウラマー(学者)や商人が反対し、全国でタバコを吸わない運動 → 利権を取り消させた

アフガニスタン

ロシアの南下を警戒したイギリスが2度のアフガン戦争を起こす。第1次(1838–42)は失敗、第2次(1878–80)を経て1880年に保護国とした。

ワッハーブ王国18世紀半ば〜

ムハンマドの時代の純粋なイスラームへの復帰を説くワッハーブ派が、豪族サウード家と結んでアラビア半島に建国。1818年、ムハンマド=アリーに滅ぼされた。

アフガーニー

ヨーロッパの支配に対抗するため、ムスリムが団結するパン=イスラーム主義を説いた思想家。ウラービー運動やタバコ=ボイコット運動に影響を与えた。

③年表

18世紀後半〜19世紀前半
11796イランでカージャール朝(首都テヘラン)
21798ナポレオンのエジプト遠征
31805ムハンマド=アリーがエジプト総督に
41818ムハンマド=アリーがワッハーブ王国を滅ぼす
51826マフムト2世がイェニチェリを廃止
61828トルコマンチャーイ条約(イランとロシア)
71838第1次アフガン戦争(〜42)
81839ギュルハネ勅令 → タンジマート
91848イランでバーブ教徒の乱
19世紀後半
101869スエズ運河開通(レセップス)
111875エジプトが運河会社の株をイギリスに売る
121876ミドハト憲法(アジア初の憲法)
131878アブデュルハミト2世が憲法を停止/第2次アフガン戦争(〜80)
141880アフガニスタンがイギリスの保護国に
151881エジプトでウラービー運動(〜82)
161882イギリスがエジプトを占領(事実上の保護国)
171891イランでタバコ=ボイコット運動(〜92)

④取り違えやすいペア

タンジマートとミドハト憲法オスマン帝国の改革

タンジマート1839〜。ギュルハネ勅令(アブデュルメジト1世)で始まる西欧化の改革
ミドハト憲法1876。宰相ミドハト=パシャ。1878にアブデュルハミト2世が停止

ウラービー運動とタバコ=ボイコット運動どちらもイギリスへの抵抗

ウラービー運動エジプト・1881–82。「エジプト人のためのエジプト」→ イギリスに鎮圧され占領される
タバコ=ボイコット運動イラン・1891–92。イギリスの会社のタバコ利権に反対 → 利権を取り消させた

ウンキャル=スケレッシ条約とトルコマンチャーイ条約どちらもロシアが結んだ、名前が似ている

ウンキャル=スケレッシ条約1833・ロシアとオスマン帝国。ロシアが海峡の独占通航権(→C)
トルコマンチャーイ条約1828・ロシアとイラン(カージャール朝)。アルメニア割譲・治外法権・関税自主権の喪失

スエズ運河建設と株

建設・開通フランス人レセップス。1869開通
株の買収イギリスのディズレーリが1875に買収(→A)

戦いの勝ち負け誰が誰に

1838–42 第1次アフガン戦争イギリス ● ― ○ アフガニスタン(イギリスは目的を果たせず撤退)
1878–80 第2次アフガン戦争イギリス ○ ― ● アフガニスタン(1880 保護国に)
1882 ウラービー運動イギリス ○ ― ● ウラービーら(エジプト占領)

E南アジアの植民地化とインド大反乱14章2・実況 第60回

①流れ

英仏の争い
カーナティック戦争18世紀半ば 南インド→プラッシーの戦い1757→ベンガルなどの徴税権1765
インド各地
の征服
マイソール戦争1767–99 南インド→マラーター戦争1775–1818 デカン→シク戦争1845–49 パンジャーブ
東インド
会社
インド貿易独占廃止1813→中国貿易独占も廃止・商業活動停止1833→解散1858
大反乱と
直接統治
シパーヒーの反乱1857–59→ムガル帝国滅亡1858→イギリス政府の直接統治1858→インド帝国1877

東インド会社は、はじめは貿易の会社 → 戦争で領土を広げ徴税する統治者に → 1833年に商業活動をやめ統治だけの機関に → 大反乱のあと1858年に解散。

②要点一覧

英仏の争い18世紀

拠点:イギリスはマドラス・ボンベイ・カルカッタ、フランスはポンディシェリ・シャンデルナゴル。南インドのカーナティック戦争でイギリスが優位に立つ。

プラッシーの戦い1757

イギリス東インド会社のクライヴが、ベンガル太守とフランスの軍を破る。1765年、ベンガル・ビハール・オリッサの徴税権(ディーワーニー)を得て、領土の支配者になる。

インド各地の征服18世紀後半〜19世紀半ば

南
マイソール戦争(1767–99、4回):南インドのマイソール王国
中・西
マラーター戦争(1775–1818、3回):デカン高原のマラーター同盟
西北
シク戦争(1845–49、2回):パンジャーブのシク王国 → 1849 併合し、インド全体を支配下に
統治
直接支配する直轄領と、地方の君主に一部の自治を許す藩王国に分けた

東インド会社の特権が失われる

1813
インド貿易の独占権を廃止(茶と中国貿易は除く)
1833
中国貿易の独占権も廃止、商業活動を停止(翌年から) → インドを統治するだけの機関に

背景:イギリスの産業資本家が自由貿易を求めた。

地税の制度地税をだれから取るか

北
ザミンダーリー制:ベンガルなど。地主・領主(ザミンダール)に土地の所有権を与え、納税させる
南
ライヤットワーリー制:南インドなど。農民(ライヤット)に土地の保有権を与え、直接納税させる

経済の変化

19世紀前半、イギリスの機械製綿布が流れこみ、インドの手織りの綿織物業は大打撃。インドは綿花・藍・茶などの原料の輸出地に。イギリス綿製品をインドへ、インドのアヘンを中国へ、中国の茶をイギリスへ送る三角貿易ができた。

シパーヒーの反乱(インド大反乱)1857–59

主体
東インド会社に雇われたインド人傭兵=シパーヒー
きっかけ
新しい銃の弾薬包に、ヒンドゥー教徒が神聖視する牛や、ムスリムが嫌う豚の脂が使われているといううわさ(背景にはイギリス支配への不満)
経過
反乱軍がデリーを占領し、ムガル皇帝を擁立。旧支配層・農民・都市の民衆も加わり、北インド全体に広がる。ジャーンシー王国の王妃ラクシュミー=バーイーも戦った
結果
イギリスが鎮圧。1858 ムガル皇帝を流刑にしムガル帝国が滅亡/1858 東インド会社を解散し、イギリス政府の直接統治に

インド帝国1877–1947

保守党のディズレーリ内閣のもとで成立。ヴィクトリア女王がインド皇帝を兼ねる。直轄領と藩王国からなる。

③年表

18世紀:英仏の争いと征服の始まり
11744カーナティック戦争(〜63、英仏が南インドで争う)
21757プラッシーの戦い(クライヴ)
31765ベンガルなどの徴税権(ディーワーニー)を得る
41767マイソール戦争(〜99)
51775マラーター戦争(〜1818)
19世紀:支配の完成と大反乱
61813東インド会社のインド貿易独占権を廃止
71833中国貿易独占権も廃止・商業活動停止
81845シク戦争(〜49)
91849パンジャーブを併合
101857シパーヒーの反乱(インド大反乱、〜59)
111858ムガル帝国滅亡/東インド会社解散 → イギリス政府の直接統治
121877インド帝国成立(ヴィクトリア女王がインド皇帝)

④取り違えやすいペア

ザミンダーリー制とライヤットワーリー制だれに納税させるか

ザミンダーリー制地主・領主(ザミンダール)。北インド(ベンガルなど)
ライヤットワーリー制農民(ライヤット)から直接。南インドなど

東インド会社の1813年と1833年

1813インドとの貿易の独占を廃止
1833中国との貿易の独占も廃止し、商業活動そのものを停止

1858年と1877年

1858ムガル帝国滅亡・東インド会社解散 → イギリス政府の直接統治
1877インド帝国:ヴィクトリア女王がインド皇帝に(ディズレーリ)

2つの「シパーヒー」同じ語、別の意味

インドのシパーヒー東インド会社に雇われたインド人傭兵(1857年の反乱の主体)
オスマン帝国のシパーヒーティマール制で徴税権を与えられた騎士

マイソール・マラーター・シク戦った地域

マイソール戦争南インド。1767–99
マラーター戦争デカン高原(中部〜西部)。1775–1818
シク戦争パンジャーブ(西北部)。1845–49。最後に征服

戦いの勝ち負け誰が誰に

1757 プラッシーイギリス東インド会社(クライヴ) ○ ― ● ベンガル太守・フランス
1767–99 マイソール戦争イギリス ○ ― ● マイソール王国
1775–1818 マラーター戦争イギリス ○ ― ● マラーター同盟
1845–49 シク戦争イギリス ○ ― ● シク王国
1857–59 シパーヒーの反乱反乱軍 ● ― ○ イギリス